早起きは3匹の得

北海道の東側から、釣り、アウトドア、読書、音楽などを楽しむ様子と、それにまつわる連載エッセイを書いていこうと思っています。

素人釣り師と息子たちの釣行日誌 その1 序

 北海道東部太平洋沿岸の地方都市である釧路市の4月は、まだ最低気温が氷点下になる日も多い。5月上旬までは雪がチラつき、ゴールデンウィークが明けてようやく車を夏タイヤに交換する、というのが釧路市民の基本姿勢である。

 

 2017年4月の中旬、この春から小学3年生になった長男のケイタツがどうやら釣りに興味を持っている、という話を妻から聞いた。そういった関心事はいつも私に直接言ってきたものだが、親父への遠慮のようなものが芽生えてくる年齢になったということか。

 

 若干の寂しさと、息子の男としての成長をじんわりと感じつつ、「遂に来たか」と思った。『釣り』といえば男の遊びの代表格だ。男の冒険心、タフネス、サバイバル能力、狩猟民族としての本能など男としての自尊心を鍛えるため、あるいは女に対して誇示すべき様々な男としてのスキルを磨くために、まさに相応しい遊びが釣りなのだ。ケイタツも3年生になるにあたり、そういった男が持つべき能力というモノを意識し始めたに違いない。

 

 そういうことなら親父として協力は惜しまないつもりだ。ただし一つ問題がある。私自身、釣りに関しては20年ほどのブランクがあり、釧路の釣り事情についてからっきしである。まして家には釣竿も仕掛けも何ひとつ存在しない。しかし私も、北海道日高地方の漁師町で生まれ育ち、中学生までは毎日のように海へ釣りに出かけ、夏休みは昆布漁師を手伝うバイトをごくたまにしていたほどの海人である。あの日々は、息子に釣りを通して男としての在り方を伝えるためにあった。そう確信し、『釧路 釣り 4月』とGoogleに打ち込んだのである。




 幸いネット上には、先人たちの努力または自己顕示欲により、釧路市近郊での釣りに関する動画やブログは多数あった。どうやら一般的に4月に狙うべき獲物は『アメマス』らしく、釧路川の河口付近は毎年釣り人が大挙し、ルアーがびゅんびゅんと飛び交っているようだ。ルアーとはいわゆる疑似餌のことで、小魚や虫などに見立てた金属などのプレートに針をつけ、だまされて食いついた魚を釣り上げるというのがルアーフィッシングである。

 

 少年期に一応の釣りの経験を持つ私は「最初からルアーはハードルが高いか?」と思った。ルアーは、『餌に見せかける』という高等技術が必要になるのだ(ほとんどやったことが無いけど多分そう)。ケイタツにルアーを使いこなせるかどうか。使い方をきちんと伝授できるかどうか。せっかくの釣りで何も釣れないのは可哀想だ。なにより、親父の私が釣りあげられないと、『男としてのタフネス』などといったフレーズは口だけ野郎の世迷言となり、家族が寝静まった午後11時以降に濃いめのバーボンをあおりながら壁に向かって呟くことしかできなくなるのである。

 

 というように迷いもあったが、初釣行の獲物は釧路川河口のアメマスに決めた。理由は、防波堤などに行く釣りだと海風が強く、気温が氷点下付近の4月の釧路ではその寒さは半端ではないだろう。雪山登山にでも行くような装備でもないと行く気にならない。私自身、そこまでのタフネスは持ち合わせていない。釧路川の河口なら、釧路の住宅街にある釧路川をまたぐ鶴見橋のたもとに車を泊めて50メートルほどでポイントに行けるうえに、寒くなったらスターバックスも目と鼻の先にある。もし私が寒さに耐えられなくなった場合、ケイタツに「寒いか?今日はまあ頑張ったからこれくらいにしておくか。暖かいなんちゃらマキアートでも飲もうぜ」等といった誘導により、親父の威厳を確保したままの撤退が可能だ。

 

 私が仕事から帰り夕食をいただいた後、捕らえるべき獲物の動画をケイタツ、弟である小学1年生のコウセイに見せた。河口付近の釣りなら大丈夫と考え、弟のコウセイも同行させるつもりだ。ルアーという釣り方があること、胴体に雨のような模様があるからアメマスということ、この時期になると海から川に戻ってくるとかなんとかで河口付近で釣れるということ、などといった今回の相手の性質を(スマホを片手に)伝える。

 

「へえそうなんだ。それにしても餌もついてないハリで釣れたらすごいな。魚って不思議だねえ」と、ケイタツはアメマスに思いを馳せている。単純な好奇心で自然を相手にするということ。自分が小学生だったころの、まだ得体の知れないものに対峙する好奇心をフワフワと思い出した。

 

今週の日曜日はみんなで釣具屋に行こう。それまでに、揃えるべき装備を暗記しなくては。釣具屋で息子たちに、お父さんは釣りに必要なものはぜんぶ頭に入っているんだ、さすがお父さんだ。と思わせるために。

 

【その2へつづく】